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3-4 四聖諦4
 
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 釈尊の示された、四聖諦を説明しています。
 
 四聖諦の一:苦の真理
    の二:苦の集(おこり)の真理
    の三:苦の滅(ほろび)の真理
    の四:苦の滅への道の真理
 
 ようやく四番、「苦の滅(ほろび)への道の真理」についてですね。この真理が実践3−1で挙げた「八正道」です。その内容は、
 
 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
 
 の八つです。これこそ解った様な、解らぬ様な命題です。漢和辞典を引けば、語句の意味は分かるでしょうが、何を意味しているのか・・・。
 
 この八正道、日本語には概ね上記の通りに訳されて表記されております。が、その意味するところは様々に解釈されております。
 
 そもそも、上記の様な表記では、解釈の幅がありすぎる様に思います。そこで、ここでも私流の解釈を示してみます。
 
 以前から記している様に、仏教の修行の基本は座禅と考えております。更に言葉を進めるならば、精神統一状態である禅定時に、あることを考えることによって、「さとり」が得られる(様に成長して行く)、と考えております。
 
 その様な視点で八項目を見てみますと、八正道の中で大切なのは、ただ一つ、「正定」だけであると考えられるのであります。
 
 正見(見解)、正思(決意)、正語(言葉)、正業(行い)、正命(生活)、正精進(努力)、正念(思念)、は、唯一、正定(正しい禅定状態)を得るための方法論であると、私は考えます。
 
 正見〜正定まで、全て「正」という文字がついております。このことから、見、思、語、業、命、精進、念、を正しくしないと、禅定自体が正しくなくなると思われます。「根本聖典」124頁にも、「邪見があらば邪思が生じ、・・・邪念があらば邪定が生ずる」とあります。
 
 ただし、それに続く「根本聖典」の内容、「正見あらば正思が生じ・・・、正念があらば正定が生じる」というのは、言葉通りには受け取れません。
 
 そもそも、正しい見(見解)とは何なのか。正しい思(決意)とはどういうものなのか。以下、同様に考えて、正しい定(禅定)とは何なのか、釈尊から教えを受けていない私たちには解らないのであります。
 
 細かいことは省略するとして、結局、取り敢えず、自分が正しいと思う正見〜正定までを実践し、実践しながらそれらを修正していくしかないと、思われます。つまり、
 
 正見によって正思が生じ       (生じ、よりも、可能となる、
 正思によって正語が生じ      の方が適切かも知れません)
 正語によって正業が生じ
 正業によって正命が生じ
 正命によって正精進が生じ
 正精進によって正念が生じ
 正念によって正定が生じて、さとりが得られた・・・ではなく、
 
 今の自分が考えられる、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を行う。
 
 時々反省して修正し、新たな正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を行う。
 
 自分が成長していれば、「正」は成長前よりもより「正」に近付いて行くでしょう。いつの日か、本当の「正」に辿り着けるのかも知れません。
 
 
 気が抜けた様な最後でしたが、次回ではこれまでの再確認と、八正道の補足説明を記します。
 

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