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2-3 無の準備
(この部屋は、番号順にお読み下さい)
これまでの禅は、座ってはいるのですが、動きがありますので「動禅」の様なものです。ようやく、本来の座禅を始めます。
「禅」というものに慣れてきたら、座禅中の腕や指の動きを止めます。
心で見ていた身体の動きも、見なくします。
心で唱えていた言葉も、動きが止まるわけですから、唱えなくなります。
では、座禅中は、ただ座っているだけなのでしょうか。
現段階での答えは「○」なのですが、いずれ「×」になります。
身体を動かさず、心の目も閉ざし(何も見ず)、心の言葉も止め(何も考えず)の状態、即ち、「取り敢えずの無」です。
「無」の状態を維持できる様に訓練しているのには違いないのですが、これは途中の段階です。先は長いですよ。
そもそも、「無」の状態になるなんて、簡単にはできませんし、なかなか「無」を維持できませんから。
それでは、慣れてきたら、座禅中に何をするのか。
それは、釈尊の教えに従って、この世と自分を考えることです。では、どの様に考えるのでしょうか。
たとえ話をしましょう。
道で出会ったある人、知っているけど、名前が思い出せない。誰だったかなぁ・・・と、考える。でも、思い出せない。
以前に出会ったであろう、日時や場所、状況などを頭の中でスキャンしてみる。でも、分からない。すると、やがて思考は停止するでしょう。
「無」になって考えているのですね。
しばらく、「無」になっていると、名前がポッと出てくる。
出てこない場合もあるでしょうけれど、ど忘れを思い出すのは、無になって考えている時か、考えるのすら忘れた時のはずです。
これは、「話しかけられても聞こえず、空腹も感じず、目の疲れも、肩のコリも、時間すらも忘れ」るくらい、意識(心)を集中した「無」の状態だからこそ、答えが「ポッ」と湧いてくるのです。
決して、ただ「無」になっていても答えは「ポッ」とは湧いてきません。
この様なことは、何かを真剣に考えているとき、日常的に経験できることです。人が何かを真剣に考えているとき、心は「無」の状態であり、「無」の状態から、答えは「ポッ」湧いてきます。ごく当たり前のことですよね。
釈尊の教えに従って、「無」になって考えるために、今は座禅の基本で「取り敢えずの無」になる訓練をしているのです。
座禅の基礎は、ここで一旦筆を置きます。筆は置くのですが、座禅は続けましょう。「禅定」は、何年やっても完成しません。そもそも、完成する、しない、というものではないのですから。
では、座禅中に考えること、仏法に進みましょう。
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