005bukkyou04

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4 「さとり」って何?

 仏教の目的である「さとり」って何でしょう
 
 「さとり」とは何でしょうか。これは、非常に難しい問題です。
 
 増谷文雄先生の著書である、「仏教の根本聖典(大蔵出版)」の101頁に記載されている文を以下に引用します。
 
「すでに解脱すれば、わたしは解脱したのであるとの智が生じる。その時 ・・
 わが迷妄の生涯はすでに終わった。
 わが涅槃を得んがための行はすでになされた。
 わが作(な)すべきことはすでに果たされた。
 この上は、さらにかくのごとき生涯をくり返すこと
はせぬであろう。 
 ・・と証知することができるのである。」
 
 「仏教の根本聖典」には、これと同じ意味と取れる言葉が何度か出てきます。また、他の書籍を読みますと(例えば、「中村元 訳 仏弟子の告白 岩波文庫」、「ベック 著 渡辺照宏 訳仏教 岩波文庫」)、釈尊だけではなく、釈尊の弟子が「さとり」を得た時にも同様と取れる意味の言葉を述べております。
 
 「さとり」とは「かくかくしかじか、である」と、釈尊は語られていないのですが、
  @わたしは解脱した、との智が生じる。
  A今後、迷いの人生を更に繰り返す(輪廻する)
   ことはない、と証知する。
この二つを達成できた状態(心の発達段階)と、考えられます。
 
 多くの書籍、経典には、涅槃を得た、とか、解脱を得た、とか、明が生じた、とか記されています。
 
 解脱、正覚、目覚める、涅槃、などなどは、使用される状況によっても異なりますが、概ね、「さとり」と同義語とも受け取れる言葉であります。
 
 従いまして、これらを得たということも「さとり」得たということと同義となり、説明になりません。
 
 大切なのは、上記の
 「@・・・智が生じる。A・・・証知する。」
ことが出来た状態と言えるのだと思います。

 
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セブンアンドワイ















 
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