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4 「さとり」って何? 仏教の目的である「さとり」って何でしょう 「さとり」とは何でしょうか。これは、非常に難しい問題です。 増谷文雄先生の著書である、「仏教の根本聖典(大蔵出版)」の101頁に記載されている文を以下に引用します。 「すでに解脱すれば、わたしは解脱したのであるとの智が生じる。その時 ・・ わが迷妄の生涯はすでに終わった。 わが涅槃を得んがための行はすでになされた。 わが作(な)すべきことはすでに果たされた。 この上は、さらにかくのごとき生涯をくり返すこと はせぬであろう。 ・・と証知することができるのである。」 「仏教の根本聖典」には、これと同じ意味と取れる言葉が何度か出てきます。また、他の書籍を読みますと(例えば、「中村元 訳 仏弟子の告白 岩波文庫」、「ベック 著 渡辺照宏 訳仏教 岩波文庫」)、釈尊だけではなく、釈尊の弟子が「さとり」を得た時にも同様と取れる意味の言葉を述べております。 「さとり」とは「かくかくしかじか、である」と、釈尊は語られていないのですが、 @わたしは解脱した、との智が生じる。 A今後、迷いの人生を更に繰り返す(輪廻する) ことはない、と証知する。 この二つを達成できた状態(心の発達段階)と、考えられます。 多くの書籍、経典には、涅槃を得た、とか、解脱を得た、とか、明が生じた、とか記されています。 解脱、正覚、目覚める、涅槃、などなどは、使用される状況によっても異なりますが、概ね、「さとり」と同義語とも受け取れる言葉であります。 従いまして、これらを得たということも「さとり」得たということと同義となり、説明になりません。 大切なのは、上記の 「@・・・智が生じる。A・・・証知する。」 ことが出来た状態と言えるのだと思います。 |
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